ダビド・ビジャ・サンチェス。

 

 

 

後のスペイン代表歴代最多得点記録を更新することになる男は、
1981年12月3日、スペイン北部アストゥリアス地方で生を受けました。

 

4歳のときに、交通事故により大腿骨に重傷を負い、
医者にサッカーはできないと言われたが無事に完治。

このときのリハビリが、両足を等しく使える彼の強みを生み出したといいます。

 

プロデビューは、故郷のクラブであるスポルティング・ヒホン。

 

今でも、このクラブは彼にとって特別な存在です。

クラブを離れて10年以上たちますが、
未だに彼はこのクラブからゴールを挙げても全く喜びません。

恐らく、引退するのも、このクラブになるんでしょうね。

 

その後、サラゴサを経て、2005年夏にはバレンシアへ移籍。

ここから彼のサッカー人生が加速し始めます。

 

加入当初はディバイオ、クライファートにレギュラーを譲るものの、
古巣サラゴサ相手に初ゴールを決め、レギュラーを奪取。

古巣だったこともあり、彼は一切喜びを表しませんでした。

 

最終的に25ゴールを決めたビジャ。

ストライカーにとって呪われた地とまで言われたバレンシアに、
待望のゴレアドール(点取り屋)が誕生したシーズンでした。

 

その後の活躍は、もはや説明するまでもないでしょう。

 

ビジャはバレンシアの不動のエースとして君臨。

 


シルバ、マタ、パブロ、ホアキンらと絡んだバレンシアの攻撃陣、
今の二強にも決して劣らない、凄まじいメンバーでしたね。

残念ながら、当時のバレンシアは守備が崩壊していましたが(笑)

 

 

ラ・ロハに選出されたのも、バレンシアでの活躍があったから。
運命の歯車が狂い、彼がバレンシアにいなかったら・・・。

彼らの黄金時代はなかったかもしれません。

 

2006年ドイツW杯。当時は21番だったんだね。

 

 

そして、ついにバルセロナへ。

 

この移籍、結局2年越しの移籍となりました。

2009年にも、バルセロナへの移籍がほぼ決まりかけていたものの、
イブラヒモビッチがバルサに移籍したことによりお流れに。

 

ビジャは、移籍が流れたことによるショックを一切外には見せなかったそうです。

 

 

彼のデビューからの経歴は、決して華やかではありません。

今日のほとんどのスター選手のように、
10代から輝かしい未来を期待されていたわけでもありません。

 

しかし、彼は愚直に、ただひたすらに結果だけを積み重ね、
周囲を認めさせ、階段を駆け上っていったのです。

 

ユーロ2008、南アフリカW杯での得点王、

CL決勝での勝負を決めるスーパーゴール、

 

気が付けば、彼はトップストライカーの頂に辿り着いていました。

 

本当に、「気が付けば登りつめていた」という表現がぴったりくる選手です。

 

 

 

仲間に対する熱い思いを持つビジャ。

 

ユーロ2008グループリーグロシア戦でのハットトリック後、
ベンチに下げられたトーレスのもとへ向かったのは有名な話ですね。

 

それ以外にも、バレンシア時代は若手の良い兄貴分として、細かく面倒を見ていました。

元バレンシアのマタ、パブロは、
チーム合流当時はビジャにずいぶん世話になったと発言しています。

 

今ではラ・ロハ不動の左サイドバックとなったジョルディ・アルバが初めて代表に
招集されたとき、最初に彼を電話で祝福したのも、
既にバルセロナへ移籍していたビジャだったといいます。

 

時に自身のゴールより、仲間のゴールのほうに熱狂することもしばしばな彼。
決して驕ることなくことなく、仲間を大切にする姿勢は一貫しています。

 

 

家族を大切にするビジャ。

 

クラブワールドカップでの左足脛骨骨折。

キャリア初めてにして最大の重症から復帰し、復活ゴールを決めたとき
彼のアンダーシャツには家族の写真がとともに、

「君たちがいなければ不可能だった」

と書かれていましたね。

 

 

そのほか、ちょっと脱力系ですがこんな写真もあります。

 

見えますか?

彼の車には、二人の娘の名前の落書き??が・・・。
娘が書いたのを消さずに残してあるのでしょうかね。

 

飾らない、彼の気質をよく表している写真です。
(とはいえ、さすがに車汚すぎ 笑)

 

家族が一番大事な彼のこと、
きっと、夜遊びなんかとも無縁なんでしょう。

 

 

義理堅いビジャ。

 

彼は、古巣相手にゴールを決めても、決して喜ぶことはありません。
普段はラテンな気質ながら、その義理堅さは日本人のようです。
(サラゴサは、最近はそうでもないけど。。)

 

そんな彼が、バレンシア退団時に残したメッセージは、
バレンシアニスアだけでなく、多くの人の心を打つものでした。

これは本当に、今読んでも涙腺がおかしくなります・・・。

 

ダビド・ビジャは、‘valenciacf.com’ を通してファンの皆さんに、
間違いなく自分の人生の中で最も辛く、選手人生の中で最も感傷的なことを
伝えなければいけません。

バレンシアでの素晴らしい5年間の思い出を持って、皆さんに『さようなら』を
言う時が来ました。

バレンシアには多くの思い出と友達を残して行くことになりますが、
これがクラブにとって最良のことと理解し、僕はこのクラブを去ります

バレンシアでは選手としても、また人間としても成長できました。
バレンシアに来た時から、このクラブを自分の家のように感じていましたし、
この居心地の良さがずっと続くだろうなということを疑う人間はいませんでした。

皆さんには僕が、バレンシアのユニフォームを着ることができたことを
誇りに思っていることを覚えていて欲しいと思います。
バレンシアは僕の心の中にいつまでもあり続けるでしょう。
また、バレンシアのキャプテンマークをつけるという名誉も与えてもらいました。
ピッチ内外、全ての時間で僕はいつもこの名誉に相応しく居られるよう、
あらゆる努力を重ねてきました。

メスタージャでの入団発表の日から、最後のメスタージャでの試合まで、
たくさんの愛情を注いでくれた全てのファンの皆さんに感謝の気持ちを送りたいと思います。
同様に、僕を支えてくれた全てのチームメイトたち、僕を指導してくれた全ての監督・コーチ陣、
クラブ職員の人たち、マヌエル・ジョレンテ会長にも大きな感謝の意を伝えたいと思います。

この5年間、僕を支えてくれた全ての人に感謝したいと思っていますし、
僕はここバレンシアで2人の娘と共にバレンシアニスタになりました。
バレンシアCFのために全てを捧げてきたつもりですし、
その想いはずっと心の中にあるでしょう。

そして僕は、クラブの株主の一人でもありますから、
今後もバレンシアの幸運を常に願っています。

クラブが毎年居るべき場所であるチャンピオンズリーグに戻れた、という達成感を持って
僕はこのクラブを去ります。僕以外の選手もクラブを去っていくでしょうが、
素晴らしいファンと組織を持つバレンシアCFというクラブは、常に競争力ある強いチームを
持ち続けるでしょう。そして、チームはこれからもファンに多くの喜びを与えていくと思います。

最後に改めて、皆さんありがとう。
僕はこれからも自分の中の一番大切なところにバレンシアをしまっておくつもりです。
AMUNT Valencia!」

 

 

あまりに多くの人々が、彼を愛しています。

彼の実力、そして気質はまさに「男が男に惚れる」という言葉がふさわしい。

 

願わくば、バルサでかつての輝きを取り戻すことを、

そして2014年、ワールドカップを掲げるラ・ロハの中に
彼の笑顔があることを願っています。

 

 

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